がまりんの日常をつづります


by akiyo_kimi24

ぼくと戦争の物語

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フレーベル館
作 漆原智良
絵 山中桃子
東京浅草にうまれそだった少年、心平。
友だちと毎日楽しくすごしていましたが、戦争がはげしくなった昭和19年、福島に疎開することになり......
戦災孤児となった著者が描く戦争があったあのころの物語。〜帯より

漆原先生の新刊です。
風化させてはいけない大切なことを、とても丁寧に物語化してくださっています、
戦争は悲しいですね。

がまりんが住む出水市にも特攻基地があり、終戦直前まで特攻機が飛び立っていた記録が残っています。
召集令状を受け徴兵された父は、鉄工所を営んでおり、基地に機の整備に通っていたので、即日帰郷となり軍機整備にもどったそうです。
軍人さんや兵隊さんが家に遊びにきたりして、かなり打ち解けてくると、
まだうら若い特攻兵に、母は、ささやかな食事の振る舞いをしていたといいます。
戦果激烈になる頃、大佐が訪ねてきて、工場ごと軍に移転して特攻機の整備をするように、との命令をすると、気丈な母は、何と、そげんことはできもはん!と答えたといいます。沖縄が悲惨な状況
に貶められ、負の駒に苛まれる中です。母の言葉に力がこもります。

怒った大佐が、非国民か!と
帯刀の鞘をつかむと、今にも抜いて切りかかりそうな形相をしたそうですが、
軍の指定食堂でもなく、無償で食事を提供し、若い兵士の母親役をかって出ていた母の、厳しくも熱い眼差しに、鞘にかけた手を、黙っておろし、身を翻して帰っていかれたそうです。

それから僅か三ヶ月後の終戦。
特攻碑公演にある雲の墓標には、最後の出撃者は、昭和20年4月某日と刻んであります。
飛び立たなければならなかったのか……
と、戦争を知らない者は思います。

子どもの頃に、物語のように聞かされた
戦争の話、いつか物語にしたいな…と思うものの、悲しいかな、筆力不足(≧∇≦)
漆原先生の新刊を読んで、ふと思い出したのでした。
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Commented by うるうる at 2014-08-05 17:35 x
拙書「ぼくと戦争の物語」を丁寧に読んでいただき、そのうえ感想までお寄せいただきありがとうございました。季巳さんのお近くにも「特攻隊の基地」があったのですね。今度はぜひ、時間をとって見学したいと思っています。きょう「じゅんばんこ」の紹介原稿入稿しました。10月発売の「灯台」です・
Commented by がまりん at 2014-08-05 18:40 x
うるうる先生、ありがとうございますヾ(@⌒ー⌒@)ノ
先生のご著書、本当に胸が痛くなりました。
本当に悲しい時には涙が流れない、といいますが、あまりにも突然の悲しみにも、すぐには涙が出ないのだと、思いました。
Commented by うるうる at 2014-08-07 09:43 x
そのお言葉に、おお「涙」。
Commented by がまりん at 2014-08-07 15:55 x
たくさんの悲しみに遭遇されたうるうる先生、もう泣かないでくださいね(^^;;
by akiyo_kimi24 | 2014-08-03 10:32 | 絵本と創作日記 | Comments(4)